生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ
HANAE MORI Vital Type: The 100th Anniversary of Birth
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- 開催予定
- 企画展

ニューヨーク、パリを魅了した日本のオートクチュール
圧巻の展示400点が語る森英恵のすべて
国立新美術館では、アジア人で初めてパリ・オートクチュール正会員となり、日本のファッションを牽引した森もり英恵はなえの没後初となる回顧展を、生誕100年を迎えた2026年春に開催いたします。1950年代にキャリアを開始した森英恵は、当初、映画衣装の制作を通じて頭角を現すようになります。戦後の高度経済成長期の日本において、家庭を持ちながらデザイナーとして社会的にも大きな仕事を成し遂げる姿は、新しい女性像の先駆けとして注目されるようになりました。そのような中で森が1961年、雑誌『装苑』にて新たに提唱したのが「ヴァイタル・タイプ」という人物像です。快活で努力を惜しまないその姿は、森のその後の生き方とも大きく重なるものでした。1965年にはニューヨークコレクションにデビューして以降、日本のみならず晩年まで世界を股にかけて活動を続けました。
本展はオートクチュールのドレス、資料、初公開となる作品を含む約400点を通じて、森のものづくりの全貌を明らかにします。デザイナーとしての表現だけではなく、生き方とその創造の根幹にまで迫るまたとない機会となるでしょう。
開催概要
- 会期
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休館日:毎週火曜日
*ただし5月5日(火・祝)は開館 - 開館時間
10:00~18:00
毎週金・土曜日は20:00まで
※入場は閉館の30分前まで- 会場
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国立新美術館 企画展示室1E
〒106-8558 東京都港区六本木7-22-2 - 主催
国立新美術館、テレビ朝日、東京新聞
特別協力
森英恵事務所企画協力
島根県立石見美術館- お問合せ
050-5541-8600(ハローダイヤル)
チケット・観覧料
| 当日 | 2,200円(一般)、1,800円(大学生)、1,400円(高校生) |
|---|---|
| 前売 | 2,000円(一般)、1,600円(大学生)、1,200円(高校生) |
- 中学生以下は入場無料
- 障害者手帳をご持参の方(付添の方1名含む)は入場無料
- 4月17日(金)~19日(日)は高校生無料観覧日(学生証の提示が必要)
- チケット販売情報は後日発表予定
みどころ
1. 日本人初、そしてアジア人初となるパリ・オートクチュール正会員、森英恵によるドレスが一堂に
1977年から27年間にわたり森英恵がライフワークとして取り組んだ膨大な数のオートクチュールコレクションからテーマごとにドレスを展示します。高品質な素材と卓越した技術を持って世界に挑んだ一点ものの作品群から森の美意識と創造力の高さを体感できます。
2. 森がこだわった日本産の布地
1965年、アメリカへと活動の場を広げた森英恵は、着物文化を背景に成熟していた日本産の帯地や絹織物で制作した作品を発表しました。高品質な絹地に鮮やかな色彩のプリントを施したオリジナルの布地は日本的美の表現としてすぐに注目を集めるようになります。本展では、森が使用した衣装の布地について改めて調査を行った結果、新たに発見された布の原画や試し刷りについても展示します。
3. 日本初展示となるメトロポリタン美術館蔵の森英恵作品
今回、ニューヨークのメトロポリタン美術館に収蔵されている森英恵のドレスを日本にて初めて紹介します。森の顧客であり、日本美術の高名なコレクターであったメアリー・グリッグス・バークは、自身が所有する伊藤若冲《月下白梅図》(1755年)から着想を得たドレスの制作を森英恵に特別に依頼。このドレスを含む、森英恵作品4点が東京展のために出品されます。本展では多くの衣装、資料を通じ、これまであまり紹介されてこなかった森のアメリカ時代の活躍を網羅的に伝えます。
4. 森英恵がファッションを文化にするために力を注いだメディア発信に注目
森英恵が活動を開始した1950年代初頭、戦後間もない日本では文化としてのファッションは未だ発展途上の段階にありました。森は日本におけるファッションの地位を向上させる必要性を強く感じ、ファッションについて語る基点として、1966年『森英恵流行通信』を自身の店舗の情報誌という形で発行するようになります。1970年に雑誌名を『流行通信』と改め、その後、日本を代表するファッション誌へと発展していきました。1978年には東京・表参道にブランドの拠点となるハナヱ・モリビルを竣工。そこでは自身のブランドだけでなく、海外の著名デザイナーも来日してショーを行うなど、東京のファッション動向を語るうえで欠かせない存在となりました。雑誌や店舗をはじめとする情報発信の場を自ら創出していった、デザイナーとしての先駆的な取り組みについて紹介します。
「ひよしや」開店の頃 1950年代半ば
撮影:石井幸之助 写真提供:森英恵事務所
森英恵 《赤い花柄の男性用アロハシャツ(映画『狂った果実』衣装)》 1956年
島根県立石見美術館 撮影: 小川真輝
森英恵 《イヴニングコート、ドレス》 1968年
ハナヱ・モリ 島根県立石見美術館 撮影: 小川真輝
森英恵 《ブランドラベル、帯地のコート》 1964年
ハナヱ・モリ 島根県立石見美術館 撮影: 小川真輝
森英恵 《イヴニングアンサンブル》 1977年秋冬
HANAE MORI HAUTE COUTURE 撮影:小川真輝
森英恵 《ハナヱ・モリ バンロン・コレクション》 1969〜70年代
ヴィヴィド 島根県立石見美術館 撮影: 小川真輝
アートディレクション:江島任 『森英恵流行通信』No.10 1966年9月3日号
ファッションハウス 森英恵 島根県立石見美術館
展示構成
1章 日本の森英恵 ヴァイタル・タイプ
「ヴァイタル・タイプ」とは、森が1961年1月号の雑誌『装苑』で提唱した人物像です。生き生きとして生命力に溢れ、敏捷げに目を光らせた女性。そして、一生懸命になれる仕事を持ち、努力を惜しまない活動家。それはまさに森英恵自身の姿とも重なるものでした。ここでは当時の取材記事を取り上げ、森自身が「アーティストであり、働く女性であり、妻であり母である」という新しい女性イメージを牽引する存在だったこと、そうした姿を洋服を作ることを通して創出していた様子を辿ります。また、森自身がこの時期に中心的に取り組み、その後の活動を軌道に乗せる大きなきっかけとなった映画衣装の仕事についても紹介します。
2章 アメリカの森英恵
1960年に初めて訪れたパリ、ニューヨークに刺激を受け、世界に活躍の舞台を広げたいと考えた森英恵は、日本の美意識について改めて知ろうと、日本美術・文学・そして日本の布地について自ら学び直しました。このときの研究成果をもとに、1965年に森はニューヨークで初となるコレクション「MIYABIYAKA(雅やか)」を発表。「East Meets West(東と西の出会い)」と報じられて好評を得、同地の高級百貨店での取り扱いが始まりました。また、すぐに雑誌『ヴォーグ』の名編集長ダイアナ・ヴリーランドがその才能に気づき、色鮮やかで美しい日本の布を生かした優美な表現を世界中に伝えたことで、森のその後の活躍が決定づけられました。
島根県立石見美術館所蔵の《イヴニングアンサンブル(ジャンプスーツ、カフタン「菊のパジャマドレス」)》 も写真家リチャード・アヴェドンによる撮影で『ヴォーグ』に大きく取り上げられ、アメリカ時代の森英恵の活躍を象徴する一作です。本章でメトロポリタン美術館所蔵の作品を展示し、森のアメリカ時代の足跡に迫ります。ここでは当時、森英恵が協働して布地を制作し、現在でも稼働を続けている布作りの現場を取材した撮り下ろし映像も上映します。
3章 ファッションの情報基盤を作る ―出版・映像・表現の場作り
1966年、ファッションハウス森英恵では最新のファッション情報を紹介する媒体として『森英恵流行通信』を刊行します。鋭い切り口と充実した特集記事が話題となり、1970年からは雑誌『流行通信』となって継続されました。1976年には森英恵の長男が編集長を務め、サブカルチャー誌へと発展する『STUDIO VOICE』の制作を始め、さらにアメリカのファッション業界紙『WWD』も日本に導入。1978年には表参道のランドマークとなったハナヱ・モリビルを完成させます。ビルは森のショーを開催するほか、ファッションに敏感な人々の交流の場ともなりました。1985年には現在も続くテレビ番組「ファッション通信」を開始するなど、森は多くのファッションメディアの立ち上げに関わってきた稀有なデザイナーだといえるでしょう。3章では自社の成長とともに、新たな情報メディアを立ち上げていくことで、日本のファッションに関する発信力向上に大きく貢献したハナヱ・モリグループの事業について焦点を当てます。
4章 フランスの森英恵 オートクチュール
1977年、森はパリ・オートクチュール組合の正会員となり作品発表を始めます。これは日本に続きアメリカでの活躍も認められ、作品のオリジナリティやアーティストとしての社会的信用が評価されたことで実現した、アジア人初の快挙となりました。森はそれまでの独自の色や柄を生かす作品に加え、パリではオートクチュールならではの素材や技巧をつくした作品作りに挑戦し、創作の幅を広げていきました。ここでは「刺す」「織る」「たたむ・重ねる」「墨絵」「花」「白と黒」「お嫁さん」など、技法や素材に注目したテーマを立て、1977年のデビューコレクションから、2004年のファイナルコレクションまでを網羅的に展覧します。
5章 森英恵とアーティストたち
森英恵のクリエイションは多くのアーティストたちとの協業の中で生まれました。ここでは森を支え、その仕事を豊かにした松本弘子(モデル)、奈良原一高(写真家)、田中一光(グラフィックデザイナー)、岡田茉莉子(女優)、黒柳徹子(女優)、横尾忠則(美術家、グラフィックデザイナー)、佐藤しのぶ(オペラ歌手)らとの交流について、アーティスト本人所蔵の森の衣装や作品、また資料を通じて紹介します。
《エピローグ》
生前、森英恵の近くにいた家族や友人へのインタヴューを通じて、多角的に森の素顔に迫ります。森がはぐくんだ美意識は時代が移り変わっていくなかで、どのように未来の世代へと受け継がれていくのでしょうか。ここでは映像作家/現代美術家の志村信裕による本展のための撮り下ろし映像として上映します。
スポット展示
スポット展示1 HANAE MORI Made in India / HANAE MORI Made in China
森は、織物や刺繍の伝統を持つインドや中国の招きにより、その国独自の素材や技法を生かしたコレクション「HANAE MORI Made in India」(1969年~)、「HANAE MORI Made in China」(1979年~)を開始。その後、オートクチュールにもこれらの要素を取り入れるなど、森自身の重要な表現方法の一つになりました。本展では両国特有の素材や技術との出会いで生み出された作品や文化交流について紹介します。
スポット展示2 「ディスカバー・ジャパン」と「ハナヱ・モリ バンロン」
1969年に販売を開始した発色豊かなカジュアルドレスは、当時の国鉄キャンペーンが気運を高めた若い女性の旅行ブームと相俟って大変な人気を博しました。バンクロフト社製の新素材を使ったドレスで、きちんとした仕立てで品がよく、簡単に洗えてシワにならないという機能性を備えており、森が望んだ「実用に適していて、夢をあたえるような」既成服でした。ここでは人々の暮らしの質を底上げした森の既成服事業について取り上げます。
スポット展示3 制服の仕事―機能性と「集団美」
森英恵は日本航空などの企業やオリンピック日本選手団、公共施設や学校の制服を多数手掛けています。集団で着用された時に表現される美しさを「集団美」として尊び、服の力で着用者の仕事や暮らしを支えることに意義を見出していました。本展では森が手がけた制服の仕事について紹介します。